「お年玉を貯金しろ」と言われて納得できなかった理由について考えてみた
お正月の子供の楽しみといえばお年玉。
このお年玉をめぐって親子でもめ事になってしまうことは多いですよね。
一番多いのが、お年玉を全部手元に持っていたい子供と、貯金させたい親の意見のぶつかり合い。
親の側からすれば、貯金する習慣を身につけさせたいとか、一度に多くのお金を持たせたくないとか、貯金させたい理由はいろいろあるものです。
しかし、私自身は「貯金しろ」という親の言葉に納得できない子供でした。
「貯金」という名目の没収ではなく、きちんと自分名義の口座に入れ、それを確認させてもらっていたにも関わらずです。
その理由について考えてみます。
何かのときって何のとき?
貯金する理由としてよく言われていたのが「何かの時のために貯金しておきなさい」というものでした。
しかし、何かの時って何のときなのでしょう。
大人になれば、病気をして働けなくなったり、思わぬ出費があったりといった「何かのとき」があるというのはわかります。
しかし、子供にとっての何かのときってなんでしょう?
それが思い浮かばなかったために、貯金をする意味が見いだせなかったのです。
今欲しいものより将来のほしいものを優先する理由は?
もうひとつよく言われていた理由が「何か高いものがほしくなったときに使うため」でした。
しかし、今私にはほしいものがあるのです。
それを我慢してまで、将来欲しくなるかもしれない、具体像の見えない「何か高いもの」のために貯金をするモチベーションは生まれませんでした。
欲しいものを伝えてもお金をおろしてくれない
それでは!ということで、ほしいものができたときに「お年玉で買いたいからお金おろして」とお願いしたこともあります。
はっきりは覚えていませんが、確か5000円くらいのおもちゃだったのではないかと思います。
すると親の返答は「貯金っていうのはそういうことのために使うものではない」でした。
欲しいものができたときのために使うって言ったのに?
じゃあ何のために貯金しなきゃいけなかったの?と思い、翌年以降お年玉を預けるのがさらに嫌になったのを覚えています。
どうすれば納得できたか考えてみた
それでは、どうすればお年玉を貯金することに納得できたのでしょうか。
あの頃に戻ったつもりで考えてみました。
具体例があればよかった
一番不満だったのが「何かの時のため」というあいまいな言葉でした。
「何かの時」ってどんなとき?というのを具体的に示してくれたらまた違っていたかもしれません。
例えば、友達と遊園地に誘われたらお年玉で行きなさいね、追加でお金はあげないよ、などと言われていればイメージしやすかったでしょう。
本当に欲しいものがあるときに使わせてもらえればよかった
欲しいものがあるからお金をおろしてほしいと言われたときに、お金をおろしてもらえる経験があればまた納得感も違ったのかもしれません。
親にとってはくだらないと思えるものでも、子供にとっては本当にほしいものなのです。
頭ごなしにダメだと言わず、せめて話し合いができればよかったのかもしれませんね。
ちなみに、私が預けていたお年玉は、高校入学時に当時本当に高価だったノートパソコンを購入するのに使いました。
それを考えると貯金していてよかったと思いますし、親も「何か高いもの」ならば買っていいという気持ちがあったのでしょう。
その「高価」の認識についても親と子でずれがあったのかもしれませんね。
まとめ
親の側は、今までの経験から貯金が大切だということをよく知っています。
しかし、それがわからないのが子供という生き物です。
子供に貯金をさせたいと思うのならば、その理由を子供が納得するまで話してあげる必要があるのかなと思っています。
我が子はまだまだ小さいので、いただいたお祝いなどはすべて貯金となっていますが、将来的にはこうしたバトルを繰り広げる日が来るのだろうと思っています。
ちなみに、私は今でも貯金が苦手ですが、同じように育てられたはずの弟は子供のころから何もしなくても自然と貯金ができるタイプの人間でした。
貯金の得意・不得意は、育てられ方とはあまり関係ないのかなぁとも感じます。
思えば、母も特に意識しなくても貯金ができるタイプの人だった気がします。
だからこそ、貯金の意義をうまく子供に伝えられなかったのかもしれませんね。